一般社団法人ジェスペール概要
国内の妊産婦をサポートすることにより、女性が安心して出産及び子育てを行えるよう国民全体で支援する世の中の実現と、いつでもいつまでも子どもの笑い声が全国各地に響き渡る社会形成への貢献を目指します。
震災後1年を機に設立された団体であり、前身は「東京里帰りプロジェクト※」。前身の活動から引き続き、各地で震災支援活動を続ける助産師を結び付けるネットワーク組織として機能し、被災地や避難先各地での被災妊産婦への支援を実施しています。
※ 東京里帰りプロジェクト:東京都助産師会主催の被災妊産婦支援事業として、震災から1年間支援を実施。
「東北こそだてプロジェクト」について
当プロジェクトは、震災で被災した母親が、大切にされている実感を持ち前向きに子育てできる状態の実現を目指します。
震災の被災地では被災後、母親の産後うつ率が増加しています。また、約3割の母親に心的外傷後ストレス障害(PTSD)の疑いが見られ、不安や鬱症状が見られる割合も約7割にのぼります。これらの原因のひとつに災害時には後回しにされがちな、妊産婦への支援の不足が考えられます。
当プロジェクトは事業目標を、「被災した母親が前向きに子育てできるようになるまでの総合的・継続的な支援」、「『母子支援の必要性』の情報発信」、「被災母子を取り巻くコミュニティの再生・連携支援」とします。
被災地(岩手県・宮城県・福島県)において、未就学児を持ちサポートが必要であると考えられる妊産婦約11万人を対象とし、これらの妊産婦が安定した環境で安心して出産と子育てを行えるよう現地で支援活動を行います。具体的には、妊婦教育、巡回訪問とその際における育児等の相談対応、メンタルケアを各地域の実情に則した形で行います。
東北こそだてプロジェクト設立趣意書
日本は戦後の経済発展により、衣食住の充実及び世界最高の医療レベルを達成することになりました。それにより新生児死亡率、妊産婦死亡率が低下し、出産の安全性は世界でもトップクラスと言われるようになりました。
しかしそれにより妊産婦や乳幼児の生命が脅かされることがなくなり、人々の間で「お産で死ぬことはあり得ない」「妊娠は病気ではない」という認識が広まった結果、妊産婦や・・・
東北こそだてプロジェクト設立趣意書(全文を読む)
日本は戦後の経済発展により、衣食住の充実及び世界最高の医療レベルを達成することになりました。それにより新生児死亡率、妊産婦死亡率が低下し、出産の安全性は世界でもトップクラスと言われるようになりました。
しかしそれにより妊産婦や乳幼児の生命が脅かされることがなくなり、人々の間で「お産で死ぬことはあり得ない」「妊娠は病気ではない」という認識が広まった結果、妊産婦や乳幼児をハイリスク弱者としてケアする意識が薄れてきました。
一方、経済成長とともに日本では少子化傾向が顕著になりました。加えて大都市圏以外では人口減少問題も抱えるようになり、東北地方もその例にもれず、東日本大震災以前から人口減少・少子高齢化の問題を抱えていました。
胎児から幼児にあたる子と母親の関係が、その子の人生に影響を及ぼすことは広く知られているところです。医学的にも、母親をはじめとする養育者の心の状態が、子どもの心の成長や発達に大きくかつ長期にわたって影響を与えることが報告されています。
本来子育ては母親にとって喜びであるはずです。しかし、乳児の小さな命を母親ひとりで守らなければならないとしたら、たとえそれが平常時であったとしても喜びを感じながら子育てをすることは困難です。母親が育児不安に陥る最大の原因は孤立することであり、実際、出産後に1割の母親が「産後うつ」になるといわれ、約8割が「産後うつ」の不安を抱えているといわれています。
母親が周囲に大切にされ、喜びを感じながら子育てをすることが、母と子の健全な関係及び子の安定した成長のためには必要です。健全な環境下で育まれた子の成長は、健全な社会の発展につながります。母親の心身の健康は、子どものよりよい人生の素地、社会の基盤づくりにとって大切なシェルターなのです。
2011年3月11日に発生した東日本大震災においては、多くの母親や養育者たちが十分な支援を得られないまま孤立と不安にさらされる結果となりました。胎児または乳幼児という社会の宝を育む母親は、大切にされなければならない存在であるにもかかわらず、被災地の困難な状況の中で大切に扱われることはありませんでした。しかし、その中でも母親たちは、希望の光となる子どもを出産し、その命を守るために様々な困難に立ち向かってきました。そして今もなお、遅々とした復興のかげで必死に子を育てようとしています。
私たちは、東日本大震災後の東北被災地の母親を支援する中、ふたつの思いを強く抱くようになりました。
ひとつは、東北被災地の母親が直面している問題は全国の母親たちが平時から抱えている問題が露呈したものに過ぎないということ。もうひとつは、災害時においては、心とからだの両面で総合的・継続的な支援を行うことが重要であり、ソフト面からの支援及び母親の心のケアにより、母親が子どもを生み育てることを誇らしく楽しく思えるようになるためには長い年月がかかるということです。
私たちは、東北被災地の母親が、安定した環境で安心して出産と子育てを行えるよう長期的にサポートすることにより、復興後の未来を紡いでいく東北の子ども達が未来への希望を持ち、社会を支えていけるようになることを目的に、東北こそだてプロジェクトを設立します。
また、東北被災地の母親への支援を広く全国に呼びかけ、全国で東北の子育てを応援する気運を盛り上げるとともに、出産前後の母への心身の支援の充実が、子どもたちのみならず養育者、さらには社会全体の支援につながることを社会に対し広く知らしめます。加えて、東北被災地の母親へのサポートはノウハウとして世に広め、次に起こりうる大災害における母子支援に貢献するものとなることを目指します。
私たちの活動により、災害時・平時を問わず日本の女性が安心して出産・子育てを行えるよう国民全体で支援する世の中になり、ひいてはいつでもいつまでも子どもの笑い声が全国各地に響き渡る社会の形成に貢献できるものと確信します。
このプロジェクトの趣旨に賛同して頂き、東北被災地の母子支援から、日本における育児環境の改善ひいては少子化問題の改善へ貢献すべく活動するにあたり、ここに多くの皆様のご協力を賜りたく、心よりお願い申し上げます。
ごあいさつ
一般社団法人ジェスペール設立、および東北こそだてプロジェクト発足にあたって
東日本大震災から1年以上を過ぎ、東京以西に住む人々にとっては、震災被害は少し遠いことのように考えられてきています。しかし、被災三県の沿岸部はまだまだ津波の被害の爪痕は大きく人々は仮設住宅での生活を余儀なくされています。
また福島県の原子力発電所の近くに住んでいた方々は元いた町に帰ることができない状況です。昨年は多くの団体や組織が緊急援助を行いましたが、1年を過ぎた今、ほとんどの団体や組織が支援を打ち切っています。
代表 宗祥子は昨年度、東京都助産師会として被災地域から避難してくる妊産婦を東京で受け入れる東京里帰りプロジェクトを発足して、その方々の支援をしてまいりました。現在東京での受け入れは終了しておりますが、被災地での母子が子育てをする環境はまだまだ整ってはいません。支援を継続することを念頭に一般社団法人ジェスペールを設立しました。
そして、東北被災地の母親が、安定した環境で安心して出産と子育てを行えるよう長期的にサポートする決意です。復興後の未来を紡いでいく東北の子ども達が希望を持ち、社会を支えていけるようになることを目的に、東北こそだてプロジェクトを発足いたします。
平成24年7月
一般社団法人ジェスペール 代表理事 松が丘助産院院長 助産師 宗 祥子
メンバー紹介
宗 祥子
代表理事
松が丘助産院 院長 助産院で妊産婦の指導、出産介助を行っている
2012年5月まで東京都助産師会副会長
2011年3月 東日本大震災後、東京里帰りプロジェクトを立ち上げ、被災地の母子の支援を東京で受け入れるとともに、被災地の活動を支援。
産後女性に寄り添い見守る母親的存在ドゥーラ養成講座の発起人
被災地支援にとどまらず、女性が安心して出産及び子育てを行えるよう国民全体で支援する世の中の実現をめざし一般社団法人ジェスペールを設立。代表理事となる、当面の課題である被災地の母子支援を行うため東北こそだてプロジェクトを開始。
横山 亮子
理事
1961年東京都港区生まれ。
住友商事株式会社を経て、ブライダルプロデュース会社でのブライダルコーディネーター及び会計事務所勤務。
3人の子を出産後、チャイルドマインダー資格取得。
東京里帰りプロジェクトでは、会計担当として被災地支援に携わる。一般社団法人ジェスペール設立理事。
丑田 香澄
理事
1984年生まれ。秋田県秋田市育ち。慶應義塾大学総合政策学部卒。
IBMビジネスコンサルティングサービス株式会社(現・日本IBM)、
東京都助産師会による東日本被災妊産婦支援事業 東京里帰りプロジェクト 事務局長を経て、
2012年3月、一般社団法人ドゥーラ協会を設立・代表理事に着任。
母親を支える「産後ドゥーラ」養成などを手掛ける。2010年生まれの一児の母。
吉田 穂波
理事
札幌市生まれ。
1998年三重大学医学部卒業後、聖路加国際病院でレジデント及びフェローを修了。名古屋大学で医学博士号取得。卒業後の2004年よりドイツのフランクフルト市、イギリスのロンドン市で臨床研修をし、第一子を出産。帰国後はウィミンズ・ウェルネス銀座クリニックで女性総合外来の立ち上げに尽力するかたわら、各地の病院で助産師外来、助産師主導のお産を推進した。
第三子出産直後に家族を連れて渡米し、ハーバード公衆衛生大学院に留学。2010年に卒業後はボストンで第四子を出産し、同大学院のリサーチフェローとして日米を、そして臨床―研究分野を行き来した。東日本大震災後には公衆衛生専門家及び産婦人科医として被災地の妊産婦及び新生児訪問、母子支援に入り、医師・助産師派遣のコーディネーターを務めた。
その際ジェスペールメンバーの情熱あふれる母子支援活動と母親目線の姿勢、スケールの大きな活躍に共感し、協働したことで次世代貢献のための課題を見出し、「動く」側から「動かす」側へのアプローチが必要と痛感。2012年4月より厚生労働省のシンクタンク(国立保健医療科学院)に着任。母子保健の仕組み作りに関わる主任研究官として、幅広い層に向けた産科ケア研修や大学での母子保健教育に携わりながら、災害時における母子救護システム作りの政策研究を行っている。
稲葉 薫
広報担当
ジェスペールメールマガジン「東北こそだてレター」制作担当
桑原 慎一
広報担当
1970年神奈川県生まれ。システムエンジニア。
ジェスペールwebサイト、被災地域webサイト 制作担当